修行ってどんなイメージがありますか?
私はきついことに耐えること、厳しい環境に身を置くこと、そしてその先で道が開けることを信じることだと思っていました。
そんなイメージが変わった話です。
もくじ
きつくて辛いのが修行?
先ほどのイメージが修行だとしたら、私は人生で結構修行を選んできたと思います。
学生時代の部活、社会人になってからは力仕事(大学病院などで大量調理)、責任の重い仕事、厳しい上司、圧力…などなど。
そのうえきつい思いや厳しさを経験しないと、成功も充実感も得られないとも思っていました。
でも8年ほど前、薬膳の恩師が
「日本人は修行が好きすぎる。きついことをしないと幸せになれないと思ってない?」と言われハッとしました。
厳しい環境に身を置いたことが、幸い管理栄養士や薬膳を志すきっかけを引き寄せましたが、それはそれ。
仕事以外でもスムーズにハッピーなことが起こると、
「え?こんないい思いをしていいの?」「あんな嫌なことがあったからご褒美だ!」「もう〇年分の運を使い果たした。」
なんて思い、障害がないと良いことが起きないという前提ありあり。どこまでドラマティックな人生を行きたいんだよ(笑)
いいことが起きても、やった~!と素直に受け取れず、どこかブロックもあったと思います。
修行から逃れられない
元号が令和になり、修行や根性は平成に置いていこうと決め、口にもしていました。
それで逆に「修行」という言葉に敏感になってしまったのか、引き寄せてしまったのか、「人生は修行よ」と諭される機会があったり、友人が「修行と思って頑張っている」と嫌な状況に耐えている姿を目の当たりにしたり、挙句の果てには占いで私の人生のテーマは「修行(修業)」とまで言われる始末…(笑)
結局、令和になっても修行からは逃れられないのかとネガティブになってしまいました。
修行の言葉の本当の意味を知る
昨晩、分子栄養学カウンセラーのまごめじゅん先生のゲリラインスタライブに遭遇。修行の定義について話されていたのです。
今にも寝付くというタイミングでメモも取っておらず、先生の言葉は再現できませんが(なんでメモしていない涙)、私が思う「忍耐・根性の積み重ね」=「修行」ではないことがわかり、とっても気持ちが楽になったことは確か!その気持ちをコメントしたら、人生のテーマが修行となっていることに対して「もしかしたらそれを伝えていく人という意味かもよ?」と返してくださいました。
改めて修行についてgoo国語辞典で引いてみると…
1.悟りをめざして心身浄化を習い修めること。仏道に努めること。
2.托鉢・巡礼して歩くこと。
3.学問や技芸を磨くため、努力して学ぶこと。(この場合、修業とも言う)
goo国語辞典
1の中にある浄化って、自分の機嫌は自分でとることだったり、出てきた感情をうまく付き合うこと処理することも含まれるのでは?と思いました。
今朝食事を摂りながら、こうして自分のためにごはんを選んで作っていくことも修行になるのかな。だったらマイごはんラボ主宰=修行の一つの方法を伝えていく人?など好き勝手に解釈しました。
2は今の自分に合った解釈はできませんでしたが、3はなるほど。占いの時にいただいたレポートを見直してみたら「修業」のほうで書いてあったので、私のテーマは3で解釈すればよさそう。
いずれにせよ修行とは目的もなくきついことに耐えながら、花が咲く日を待つことではない(笑)
いつの間にどうやって、そんな定義が自分に染み込んでいたのでしょうか。
人に言われた人生のテーマとは言え、ネガティブなイメージを変えられたことは大きいです。
あー、何だかこれから先の見通しまで軽くなった気分。
そもそもきついことを乗り越えないといいことが起きない状態に向けていたのは、自分だということにも気が付きました。
昨晩はヨガした流れで寝ようと思っていたのですが、することを思い出したお陰で見れたインスタライブ。しかもアーカイブ無し。ラッキー。
いいライブをありがとうございました。
※ライブ内で紹介されていた本が良書でした。もしご興味があれば読んでいただきたいです。
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