どこかなにか満たされない原因に気づいた話

先月の熊本阿蘇旅行のメンバーは、全員PNTトレーナー。栄養と心の関係を身をもって体感しているメンバーばかり。

なので旅中のトークは深いものがあり、なんだかカウンセリングしてもらったような感覚でした。

たくさんの気付きに目から鱗でしたが、特に私にとって重要だった気付きをまとめたいと思います。

満たされない感覚が生じる原因

何か不満があるわけではないんだけど、「うん、満足!」ていう感覚もないとき、ありますか?

例えば職場環境だったり、平凡に感じる日常だったり、今日行ったレストランだったり…。

「まあまあ」とか「悪くはないんだけど」と歯切れの悪い感覚が続く原因がわかりました。

あくまでもこれは私の場合の話ですが。

理想を描いたときに「こうありたい」ではなく「こうありたくない」で描いている部分が多かったことが、満たされない感覚を生んでいたと思います。

こうありたい」理想よりも「こうありたくない」理想が強かったのです。

メンバーに「これからどうしたいの?」「どういう未来にしたいの?」など私に関心を寄せて傾聴してもらっている時に気づいたことでした。

「こうあってほしくない」「こういうことにはなってほしくない」そういうワードがちょこちょこ私の口から出てきていました。

「こうありたくない」が浮かぶこと自体は悪くないと思うし、そのボーダーラインをはっきりさせておくのは必要だと思うのですが、大事なのはそこから「じゃあ、どうありたいのか」まで描くことだと気が付きました。

この「こうありたくない」だけでは、無事にありたくない世界にならなかったとしても、何かを実現した・達成したという感覚が薄い。それがもやもや満たされない感覚を生じされていたんだと思います。そして自分以外の誰かが描いた理想や姿と比較して、自分はまだまだだなんて思ってしまっていたのです。

それでは永遠に“まだまだ”と付き合わないといけなくなりますね。

PNTトレーナー養成講座受講中に学んだ問題回避型という思考パターンにちょこちょこ陥っていました。

(逆パターンは目的志向型)

学んでいても思考が偏るときはありますが、学んだからこそ偏りに気付けているということで◎

ありたくない現実に囚われない

今までの私の例を挙げると「こうありたくない」の一つに「変な人間関係に巻き込まれたくない」がありました。

今フリーランス、個人事業主を続けていて、ありがたいことに基本的にはお仕事の人間関係で悩む環境はありません。

ですが「変な人間関係に巻き込まれたくない」と言葉にするときは、前職のありえないくらい理不尽だった日々やどん底に疲れた日々を思い出してしまいます。わざわざ過去の嫌なことを思い出して、わざわざ嫌な気分になるのはもったいない話です。

「こうありたくない」ばかりに囚われると、そこへの恐れが付きまとってしまいエネルギーロスが生じますし、常にそのありたくない現実を意識する状態になってしまいますね。

理想があるから満たされる

改めてここ数年を振り返ると、「穏やかな人たちに囲まれたい」など理想の環境を描けるようになったことで、そこに向けた行動や選択をするようになり、お陰様で穏やかな素敵な方々と出会うことや過ごす時間が多くなりました。

年齢を重ねて世の中を渡るのが少しはうまくなったのかもしれませんが(笑)

「変な人間関係に巻き込まれたくない」で終わっていれば、もしかしたら「前職よりはマシだけどさ…」と、結局可もなく不可もなく満たされない生活で終わっていたかもしれないです。「こうありたい」が描けていたことで、今の状況に感謝できている気がします。

とは言え、まだまだ「こうありたくない」で終わっている件があるので、旅行以降は「じゃあ、どうしたいのか」まで思考のベクトルを持っていくように意識するようになりました。「どうしたい」が出せていない部分もありますが、まずはベクトルをそっちに向けることが大切だと思います。

もし美容室であれば「こうありたくない」NGだけ伝えておけば、美容師さんがいいように仕上げてくれると思います。でも人生となると自分以外の誰かが作っていくものではないですからね。

人生にこれが良いを増やす

書きながら今思い出したのですが、昨年まごめ先生のセッションで「人生に“これが良い”を増やそう」と言われたことを思い出しました。(忘れてたんかい!)私の「こうありたくない」思考を見抜かれていたのかもしれませんね。

もし何か満たされない感覚があったとき、「じゃあどうだったら良いのか?」を描いてみると何かが前に進むかもしれません。

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